誰にも迷惑をかけていないし、ただやりたいこと好きなことを伝えているだけなのに
不愉快な思いをする人間がいる。それが好きなことをを批判、否定してくる人間たちだ。
私は批判、否定してくる友人にかなり悩んで傷つけられてきた。
批判、否定が悔しくてとことん好きなことに挑戦してきたので、行動力は身に付いたが
そういう人間の言うことを全部を真に受けていると自分が傷つく一方なので、友人で大切な人間であっても根が深い問題なので諦めるしかない。
この記事では私が実際に経験したことを元に、批判否定してくる友人Aを分析してみた。
同じような人間に傷つき、悩んでいる方の助けになれば幸いである。
子供の頃の夢は公務員。大手製造メーカーに勤めている友人Aの話。
私は中学生の頃からずっと仲の良い友達グループと20歳前半まで交流があった。
私はそのうちの一人、友人Aとは価値観の不一致から今では会話をしていない。
友人Aという人物はとても真面目で子供のころの夢は公務員という堅い女の子だ。
外に出るときは決してチャック付きのリュックは背負わない。
なぜなら背後から簡単にチャックを開けて財布を取られる可能性があるからだ。そんな友人Aはいつも機能的で男の子みたいな服装をしていた。
対する私の子供の頃の夢は声優で、なれるはずはないと思ってはいたけど絶対に不可能ではないと思っていた。
声優という職業がある限り、それは実現不可能ではないのだ。実現できなかったとしても理想のために頑張ることは私にとって幸せな事だった。
およそ友人Aとは真逆の性格の私だったが根は真面目だったので中学を卒業しても一緒に遊んでいた。
そんな私は友達と会ったら出来るだけ楽しく過ごしたい、笑って過ごしたい。盛り上げたい。そういうサービス精神が強い人間だ。
だから冗談も沢山言って話のネタや面白さをグループに提供しているつもりだった。
いつものように仲良しグループ数人でガストーーーク!を楽しんでいる時に、私はこんな話題を思いついた。
『このメンバーで会社経営したらどんな会社になるのか?』
おっちょこちょいの友達は経理向きではないよね~だとか、社長やるなら誰が適任だろうか?だとか、ただの他愛のない会話になると思っていた。
ただ一人だけ面白くない顔をしている人間がいた。友人Aだ。
友人Aは『絶対にお前らの会社なんか入らない!』と凄い剣幕で言い出した。
私は真剣に会社を興そうとして話をしているわけじゃない。ただの友達と楽しく話すための話題のひとつで、会社を興すための資金の話もしていなければ何をする会社なのかも一ミリも話をしていない。
だれが聞いても空想の世界の話をどうしてそんな真剣に否定してくるのか分からなかった。
私は大好きな友達と馬鹿な話をして笑いたいのだ。だから皆が楽しめないのは辛いし、どうして話に入ってこないのか不思議だったのでその場で聞いてみた。
私「今は本気で会社を興そうって話はしてないよ?キャラトークで適当に会話して空想の話をしてるだけなのに何でそんなガチになってるの?」
友人A『キャラトークとか気持ち悪い。』

私の友達グループは基本的に何かしらのオタクだ。だからキャラという言葉に何かしらの嫌悪があるわけではないと思う。
私が言ったキャラトークという意味は、友達の人間性を考えた時にどんな行動をとりそうか考えながら空想の話をするという意味で使った。
友人Aが私の言葉をどのように捉えたのかは謎だが、以前にもこういう類の話をして以前から機嫌が悪くなるようなことは無かったと記憶している。
だからキャラトークではなくて、仲間内で会社を興したらどうなるのか?という話題に問題があったんだと後から判断した。
ただの話のネタで言っているだけなのに、どうしてそんなに過剰反応する必要がある?
他愛のない会話のネタの一つだから適当に流せる話だと私は思っていたけれど、友人Aにとってはそんなに嫌な話だったのか?と、その日はモヤモヤして帰った。
お豆腐メンタルの私は『気持ち悪い』という言葉に深く傷ついた。
そんなに気持ち悪いことを言ったつもりはなかった。ただ私は皆を楽しませたかっただけだった。
友人Aが何故そんなに過剰反応したのか手掛かりがないまま、また私は一緒に遊ぶことになる。
そして、そのたびに深く傷つくことになった。
好きな事、やりたいことに過剰に反応する友人Aの心理
そして友人Aと何回かまた一緒に遊んだ。
当時の年齢は20になったばかり位で、どんな仕事をしてみたいか、何歳くらいで結婚したいか、子供はどうするのか、将来の夢や目標のはなしをする事が結構あったように思う。
将来の夢をもったり目標をもつことは向上心があって、私は素敵なことだと思っている。
実現するかは重要ではなくて、頑張ることに意味があると当時の私は思っていた。
私がこれから挑戦したいことや興味のあることの話をすると、必ず友人Aは批判し、否定した。
当時私が挑戦したいと話した内容は、写真が好きだったのでカメラの勉強をしてみたいだとか、美人時計のモデルをしていたことからアマチュアフォトグラファーのモデルをやってみたいだとか、確かそんな内容だったように思う。
別にこれでお金を稼いでいこうなんて話はしていなかった。ただ挑戦したいというだけで仕事をしながら興味のあること好きなことに挑戦するような将来を送りたい。という話を私はしていた。
しかし、友人Aからすると、私がやりたいと思っていることは現実的ではないそうだ。
私は宇宙人と遭遇してみたいだとか、第三の目を開眼させるために修行をするだとか、そういうことが現実的でないと考えている。将来はトーマスになりたーい!と私は言っていないのだ。
好きなことでお金を稼ぐのは難しいことかもしれない、だから少し現実的ではないのは理解が出来る。
でも、仕事をしながら好きな事を続けていった先にはもしかしたら数円でも好きなことで生きていく糸口が見つけられるかもしれない。
見つけられなかったとしても、好きなことをしているので人生的には嫌な思いはしないだろう。
過剰に夢や目標を否定することは、それこそ現実的でないのでは?と私は思った。
現実に不満をもって生きている人間が今よりも幸せな人生を歩みたいと建設的に考えることは非常に一般的で普通の事で、それこそリアリティがあるではないか。人間がもつ自然に沸き立つ感情自体を批判、否定する行為は現実的だと言えるのか?
私はここまで考えてハッと気が付いた。何度も傷ついて私はやっと少しだけ友人Aのことが分かってきた。
友人Aは自分の好きな事をやりたい!と誰よりも思っているのだ。しかも私なんかよりも強くて大きい感情だ。しかし、どうしてなのか理由は分からないが、その感情自体を悪だと決めつけている。
だから私が自由にやりたいことを話したり行動すると必要以上に反応するのだ。
それは友人Aにとってはタブーで、絶対にあってはならないことだからだ。
私が知らない友達Aのジレンマとコンプレックス
これは友人Aとしばらく連絡しなくなって最近久しぶりに会った友達から聞いた話だ。
友人Aは本が好きなので友人Aが小説を書くことに挑戦したらしい、私は友人Aが好きなことに挑戦してくれていて嬉しかった。
でも、母親から『絶対にやめて!』と強く否定されたらしい。
その後のことは知らないが、私はそれを聞いてとても悲しかった。きっと友人Aも凄くかなしかっただろう。
自分のやりたいことを批判、否定される悲しさは私が一番理解している。
実際に母親のことをよく知っているわけではないので、推測の範囲でしか考えられないが
恐らく友人Aは母親から『やりたいことに挑戦するのは悪。』という呪いをかけられている。
私にはそんな呪いがないので、なぜ辞めるように言われているのか謎だ。
友人Aは小説をかくことが危険かどうか判断できない赤ちゃんではないのだから、やれるだけやってみればいいではないか。
きっと友人Aの母親も自由な行動をしてはいけない呪いにかかっているのだろう。
友人Aが小説家になって大手製造業を辞めると言い出して家計が不安定になるのが怖いのだろうか?
身内に小説を書いている人間がいることが母親にとっては恥ずかしいことだからか?
小説を書いて我が子が有名になって悪口を言われたり我が子の名誉が傷つくのが心配なのだろうか?
私には全く母親の気持ちが理解できない。ただ小説を書いて投稿することに何をそんなに怯えているのかわからない。
友人Aがすごい小説を書いて芥川賞なんかをいきなりとった場合は別だが、
今はただ好きな小説を書いて投稿して友人Aなりに新しい経験を得ようとしている。
何も親に迷惑を掛けていない。何も友人Aは悪いことをしていない。
友人Aの成長と可能性をつぶしている母親こそ悪だと私は言いたい。
自分を否定されるのはとても辛くて悲しい。私はとてもそれが分かる。
だから友人Aに言ってやりたい。
『もういい大人なんだから、母親の言いなりになるのは辞めて自分で判断して人生悔いのないように生きろ。』と。
批判・否定ばかりしてくる人の心理とは
やりたいことや好きなことに挑戦していると必ず否定的なことを言ってくる人がいる。
何も迷惑はかけていないのに、ものすごい剣幕で批判、否定してくる。
それは自分がやりたくても出来ない、もしくは自分で好きなことに挑戦することは悪であるというルールを作っている。可哀そうな人たちなのだ。
自分の仲のいい人や大切な人が苦しんでいるのは辛いが、簡単に人間の価値観は変えられるものではないので距離を置いて相手の幸せな人生を願うしかない。
批判否定してくる人間に傷つくこともあるが、自分の人生は自分にしか生きれない。
都合よく口はだしてくるが、だれも自分の人生の責任をとってくれないのだ。
自分で判断して自分が一番幸せになれるなら自信をもって選択しよう。
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